偶然が責任になる
じゃんけんの勝利が、そのままキャプテンという役割になってしまいます。
球技大会のチーム決め。スポーツは、ただ静かに座っていたかった。 しかし、じゃんけんは時に、人生より残酷です。
翌朝、スポーツはいつもより早く教室に着きました。 昨日の自己紹介で十分に目立ってしまったので、今日はできるだけ静かに過ごすつもりでした。 机に座り、筆箱を出し、ノートを開き、普通の生徒として一日を始める。 それが彼女の作戦でした。
けれど黒板には、すでに大きな文字が書かれていました。
スポーツは黒板を見ました。 そして、そっとノートを閉じました。
スポーツ:「今日は、もう帰っていい気がする。」
そこへミナが来ました。 彼女はすでにクリップボードを持っていました。 朝の時点でクリップボードを持っている人間は、だいたい何かを管理する気です。
ミナ:「おはよう。」
スポーツ:「ミナ、その板は何?」
ミナ:「混乱を記録するための板。」
スポーツ:「混乱する前提なの?」
ミナ:「名前がスポーツだから。」
スポーツ:「便利な説明にしないで。」
朝のホームルームが始まりました。 担任の先生は、いつもより少しだけ明るい声で言いました。
担任:「今日は球技大会のチームを決めます。」
教室が少しざわつきました。 得意な子は前のめりになり、苦手な子は机と一体化しようとしました。 スポーツは、後者でした。
先生はプリントを配りました。 種目はドッジボール、サッカー、バスケットボール。 スポーツはその三つの文字を見て、静かに深呼吸しました。
スポーツ:「逃げ場が三方向から来てる。」
ミナ:「落ち着いて。まだ競技は始まってない。」
スポーツ:「文字だけで疲れてる。」
担任の先生は、チームを二つに分けるため、座席番号でまず大まかに分けました。 そこまでは、まだ平和でした。 スポーツも、普通に自分のチームへ入りました。
問題は、その次でした。
担任:「では、各チームのキャプテンを決めましょう。」
スポーツの背中に、見えない冷たい風が吹きました。
クラスでは、誰がキャプテンになるかという空気が流れ始めました。 運動が得意な男子。 バスケ部の女子。 声が大きい子。 まとめ役の子。
スポーツは、自分には関係ないと思おうとしました。 名前はスポーツですが、キャプテンという言葉はまだ少し遠いはずでした。
しかし、コーチ先生が廊下から現れました。
コーチ先生:「キャプテンを決めると聞いた。」
スポーツ:「なぜ毎回、話の濃いところで現れるんですか。」
コーチ先生:「風が呼ぶ。」
スポーツ:「廊下です。」
コーチ先生は教室を見渡し、最後にスポーツのところで視線を止めました。 その目は、昨日と同じでした。 何かを発見した人の目です。
コーチ先生:「名前に導かれる者がいる。」
スポーツ:「私は導かれてません。座っています。」
担任の先生は、空気をやわらかくしようとして言いました。
担任:「では、立候補がいなければ、じゃんけんで決めましょうか。」
その瞬間、スポーツは確信しました。 立候補者が出ない。 これは危険です。
チームのメンバーが輪になりました。 みんなは軽い気持ちでした。 キャプテンといっても、球技大会の班長のようなものです。 けれどスポーツにとっては違いました。 キャプテンとは、前に立つ人です。 そして彼女は、できれば横にいたい人でした。
ミナ:「大丈夫。確率は低い。」
スポーツ:「そう言われると逆に来る気がする。」
ミナ:「じゃんけんは、気持ちではなく統計。」
スポーツ:「統計に裏切られたことある?」
ミナ:「今から見るかもしれない。」
じゃんけんが始まりました。
最初の一回。 スポーツはグーを出しました。 何人かが負け、何人かが残りました。 スポーツも残りました。
二回目。 スポーツはチョキを出しました。 また数人が抜け、なぜかスポーツは残りました。
三回目。 残ったのは、スポーツと、バスケ部のしっかりした女子でした。 クラスが、急に見守る空気になりました。
スポーツ:「ここで負けたほうがキャプテン?」
担任:「勝ったほうにしましょう。」
スポーツ:「ルール確認、大事です。」
二人は向かい合いました。 バスケ部の女子は余裕の表情です。 スポーツは、何を出すか決められない表情です。
じゃんけん。
ぽん。
スポーツはパーを出しました。 相手はグーでした。
教室が拍手しました。
スポーツは、自分の手を見つめました。 まるで、勝手に重大な契約書にサインした手を見るように。
スポーツ:「この手、さっきまで私の味方だったのに。」
担任の先生が黒板に書きました。
文字にされると、逃げ道が減ります。 スポーツは黒板を見ました。 自分の名前が、また自分より先に走っていました。
コーチ先生:「やはりな。」
スポーツ:「やはりではありません。事故です。」
コーチ先生:「偶然は、才能が変装した姿だ。」
スポーツ:「その言葉、今すぐ返却したいです。」
チームメンバーは、少し期待した顔でスポーツを見ました。 昨日の自己紹介のせいで、彼女はすでに「何かありそうな人」になっていました。 しかし、スポーツ自身には何もありません。 あるのは、不安と、まだほどけていない靴ひもだけでした。
ミナが近づいてきました。
ミナ:「キャプテン、おめでとう。」
スポーツ:「心がこもってない。」
ミナ:「こめると、あなたが泣きそうだから。」
スポーツ:「配慮が鋭い。」
昼休み、チームは校庭の端に集まりました。 スポーツはキャプテンとして、何か言わなければなりませんでした。 けれど、何を言えばいいのかわかりません。
スポーツが黙っていると、チームメンバーの一人が言いました。
男子:「キャプテン、作戦は?」
スポーツ:「作戦。」
女子:「うん、作戦。」
スポーツ:「作戦という言葉は、思ったより重いね。」
ミナが横でクリップボードを構えました。
ミナ:「まず、得意な種目を確認しよう。」
スポーツ:「それ、すごく管理者っぽい。」
ミナ:「あなたが管理できないから。」
スポーツ:「正論が速い。」
チームメンバーは順番に得意なことを言いました。 足が速い子。 ボールを投げるのが得意な子。 守備が好きな子。 声出しが得意な子。
そして、全員の視線がスポーツに集まりました。
男子:「キャプテンは?」
スポーツ:「私は……」
スポーツは考えました。 走るのは普通。 投げるのは不安。 蹴るのは運次第。 捕るのはできれば避けたい。
それでも、何か言わなければなりません。
スポーツ:「私は、全員がケガしないことを願うのが得意です。」
校庭に、また少し沈黙が落ちました。
しかしミナだけは、すぐに書きました。
コーチ先生は腕を組み、大きくうなずきました。
コーチ先生:「すばらしい。勝利の前に安全がある。」
スポーツ:「今のは本当にそうです。」
コーチ先生:「そして安全の先に勝利がある。」
スポーツ:「すぐ勝利に戻さないでください。」
しばらく話し合った結果、チームは作戦を三つ決めることになりました。 スポーツは、なぜ三つも必要なのかわかりませんでした。 ひとつでも持て余しているのに、三つです。
けれどメンバーは楽しそうでした。 作戦名を考える時、人はだいたい本番より元気になります。
男子:「作戦Aは、全員で攻める。」
女子:「作戦Bは、守りを固める。」
ミナ:「作戦Cは、スポーツを守る。」
スポーツ:「なぜ私が守られる側なの。」
ミナ:「キャプテンだから。」
スポーツ:「キャプテンの意味が新しい。」
作戦名は、さらに大げさになりました。
スポーツは三つ目だけ、少し気に入りました。
話し合いの最後、ミナが言いました。
ミナ:「キャプテン、最後に一言。」
スポーツ:「急に?」
ミナ:「キャプテンだから。」
スポーツ:「今日その言葉、何回私を追い詰めるの。」
チームのみんなが、スポーツを見ました。 期待の目でした。 でも、昨日のような勝手な期待とは少し違いました。 どちらかというと、面白がりながらも、ちゃんと待っている目でした。
スポーツは深呼吸しました。 そして、キャプテンとして最初の言葉を言いました。
スポーツ:「えっと。勝てたらうれしいです。」
チーム:「うん。」
スポーツ:「でも、ケガしないで帰れたら、かなり勝ちです。」
チームの誰かが笑いました。 その笑いは、バカにする笑いではありませんでした。 力が抜ける笑いでした。 そして不思議なことに、みんな少しだけ安心した顔になりました。
コーチ先生は腕を組んで、また深くうなずきました。
コーチ先生:「名言だ。」
スポーツ:「違います。保険です。」
放課後、スポーツは机に顔を伏せました。 まだ球技大会は始まっていません。 それなのに、すでに一試合終えたような疲れでした。
ミナが隣に座りました。
ミナ:「悪くなかったよ。」
スポーツ:「どの部分が?」
ミナ:「みんな、少しまとまった。」
スポーツ:「私、まとめた?」
ミナ:「正確には、あなたの困り方を中心にまとまった。」
スポーツ:「リーダーシップの形が情けない。」
でも、スポーツは少しだけわかっていました。 たしかに、みんなは笑っていました。 作戦は変でした。 キャプテンも変でした。 それでも、チームの空気は悪くありませんでした。
名前に振り回されるのは、今日も大変でした。 けれど、その名前が少しだけ誰かを近づけたのも事実でした。
スポーツ:「キャプテンって、何をすればいいのかな。」
ミナ:「まず明日、遅刻しないこと。」
スポーツ:「それはできる。」
ミナ:「たぶん、それが次の事件になる。」
スポーツ:「予告しないで。」
スポーツはまだ知りません。 明日の朝、彼女が遅刻しそうになって全力で走る姿を、 コーチ先生が見てしまうことを。
ただ遅刻しそうだっただけ。 ただ急いで走っただけ。 けれど、その一瞬をコーチ先生が見てしまいました。 そして、短距離走の伝説が勝手に始まります。
スポーツは、じゃんけんに勝っただけでキャプテンになります。 けれどその偶然が、彼女の本当の強さを少しだけ見せ始めます。
じゃんけんの勝利が、そのままキャプテンという役割になってしまいます。
スポーツが混乱するほど、ミナのクリップボードは正確に動きます。
勝利より先に、無事に帰ること。それがスポーツらしいキャプテン宣言です。