Episode 04

サッカーボール事件

ボールが飛んだ。スポーツが固まった。犬が走った。 そして誰も予定していなかった試合が、なぜか成立してしまいました。

Opening Scene

校庭には、平和な昼休みがあった

その日の昼休み、校庭はいつも通りににぎやかでした。 走る人、しゃべる人、日陰でパンを食べる人、何の目的もなく校庭の端を歩く人。 それぞれが、それぞれの昼休みを過ごしていました。

スポーツは、できるだけ日陰にいました。 理由は簡単です。 日陰は、競技になりにくいからです。

スポーツ:「日陰は安全。」

ミナ:「それ、格言みたいに言うこと?」

スポーツ:「校庭では、日陰が最後の避難所です。」

ミナは隣でお茶を飲みながら、クリップボードを膝に置いていました。 彼女は最近、スポーツの周辺で起きる出来事を、だいたい記録するようになっていました。 それは友情なのか、研究なのか、本人にもまだわかりません。

その時、遠くでサッカーボールが大きく跳ねました。

スポーツは、その音を聞いただけで少し肩を上げました。

ミナ:「まだこっちに来てない。」

スポーツ:「来る前に警戒するのが安全管理です。」

ボールは、来た

予感というものは、当たらなくていい時ほど当たります。 校庭の向こうで蹴られたボールは、誰かの足に当たり、角度を変え、 さらにもう一度跳ねて、まっすぐスポーツのほうへ転がってきました。

スポーツは固まりました。 ボールも転がりました。 ミナはその二つを見比べました。

男子:「スポーツ! 止めて!」

スポーツ:「名前で指示しないで!」

ボールは、ゆっくりではありませんでした。 でも速すぎるわけでもありません。 本当に止めようと思えば、足を出すだけで止められるくらいの速度でした。

けれどスポーツにとって、足を出すという行為は、かなり大きな決断でした。 足を出せば、ボールと関係ができてしまいます。 関係ができると、次に「蹴って」と言われます。 蹴ると、方向が発生します。 方向が発生すると、責任が発生します。

スポーツ:「責任が重い。」

ミナ:「まだボールが転がってるだけ。」

スポーツは、昨日の反省を思い出しました。 キャプテンとして大事なのは、安全第一。 そうです。 いま必要なのは、派手なプレーではありません。 確実な処理です。

彼女は、ボールの前に立ちました。 両足をそろえました。 そして、ボールを止めようとしました。

その瞬間、犬が来ました。

審判犬、登場

犬は、どこから来たのかわかりませんでした。 茶色と白の毛。 首輪。 まっすぐな目。 そして、サッカーボールに対する迷いのない情熱。

犬はスポーツの横をすり抜け、ボールをくわえました。 そして、そのまま走り出しました。

スポーツ:「え。」

ミナ:「犬。」

スポーツ:「犬だね。」

ミナ:「ボール持ってるね。」

スポーツ:「持ってるね。」

サッカーをしていた男子たちが、いっせいに叫びました。

男子たち:「ボール!」

犬は振り返りました。 その顔は、とても満足そうでした。 まるで自分がいま、試合の流れを正しく管理していると思っている顔でした。

コーチ先生が現れました。 もちろん、現れました。 こういう場面で彼が現れないことは、ほとんどありません。

コーチ先生:「流れが変わったな。」

スポーツ:「犬がボールを持って行っただけです。」

コーチ先生:「試合では、そういう瞬間がある。」

スポーツ:「これは試合ではなく、犬です。」

なぜか始まる追跡戦

男子たちは犬を追いかけました。 犬は楽しそうに逃げました。 校庭の空気は、急に競技のようになりました。 誰かが笑い、誰かが応援し、誰かが「右!」と叫びました。

スポーツは、まだ日陰にいました。 しかし、キャプテンとしての視線が少しずつ彼女に集まり始めました。

女子:「キャプテン、どうする?」

スポーツ:「犬の判断を待つ。」

ミナ:「それは作戦ではない。」

スポーツ:「でも、犬のほうが主導権を持ってる。」

犬は校庭の中央へ走り、ボールを一度置きました。 男子たちが近づくと、またくわえて走ります。 その動きは、奇妙にリズムがありました。 まるで本当に、誰かにルールを教えているようでした。

コーチ先生は、感心した顔で言いました。

コーチ先生:「見ろ。相手を動かしている。」

スポーツ:「犬です。」

コーチ先生:「しかも、全員の視線を集めている。」

スポーツ:「犬です。」

コーチ先生:「司令塔かもしれない。」

スポーツ:「犬です。」

ミナはクリップボードに書きました。

昼休み事件。
原因:サッカーボール。
予想外の主役:犬。
コーチ先生の解釈:司令塔。

スポーツの決断

しばらくして、犬はスポーツの近くまで戻ってきました。 ボールをくわえたまま、しっぽを振っています。 その顔は「次はあなたの番です」と言っているようにも見えました。

スポーツは犬を見ました。 犬もスポーツを見ました。 校庭中が、なぜか二人を見ていました。

ミナ:「キャプテン。」

スポーツ:「今、私にキャプテンを求めないで。」

ミナ:「犬がボールを返すかどうか、たぶんあなた次第。」

スポーツ:「そんな外交、聞いてない。」

スポーツは、ゆっくり犬の前にしゃがみました。 犬はボールをくわえたまま、じっとしています。

スポーツ:「あの、ボールを返していただけますか。」

校庭が静かになりました。 まさか犬に敬語で交渉するとは、誰も思っていませんでした。

犬は、少し首をかしげました。 それから、ボールをぽとりと落としました。

校庭から拍手が起きました。

スポーツ:「拍手されること?」

ミナ:「交渉成立。」

コーチ先生:「キャプテンシーだ。」

スポーツ:「犬にお願いしただけです。」

審判犬という誤解

ボールが戻ると、男子たちはサッカーを再開しようとしました。 しかし犬は、まだ校庭の中央にいました。 ボールを見ています。 人を見ています。 そして、ときどき短く吠えます。

その吠え方が、なぜか笛のように聞こえました。

男子:「今の、ファウルってこと?」

別の男子:「犬、こっち見てるし。」

スポーツ:「犬にルールを聞かないで。」

けれど一度そう見えてしまうと、人間は弱いものです。 犬が吠えるたびに、みんなが一瞬止まります。 犬が走ると、試合の流れが変わります。 犬が座ると、なぜか休憩のような空気になります。

コーチ先生は、腕を組んで言いました。

コーチ先生:「審判だな。」

スポーツ:「違います。」

コーチ先生:「公平な目をしている。」

スポーツ:「ボールしか見てません。」

こうして、犬はその場で「審判犬」と呼ばれ始めました。

犬本人は、たぶん何もわかっていません。 ただし、ボールを追いかける情熱だけは本物でした。

試合が成立してしまう

その後の昼休みは、奇妙なサッカーになりました。 ルールはゆるく、審判は犬で、キャプテンのスポーツは基本的に安全確認を担当しました。

スポーツ:「転びそうな人、いったん止まって!」

男子:「キャプテン、作戦は?」

スポーツ:「犬より前に出すぎない!」

ミナ:「それ、作戦として成立してるのが不思議。」

不思議なことに、その作戦は少しだけ効きました。 みんなが犬の動きを見ながら走るので、急にぶつかる人が減りました。 ボールを無理に取り合うより、犬の予測不能な動きを笑うほうに気持ちが向いたのです。

スポーツは、いつの間にか声を出していました。 「危ない」「こっち」「犬が右」「一回止まって」 それはかっこいい指示ではありません。 でも、みんなには届いていました。

ミナはその様子を見て、小さく笑いました。

ミナ:「キャプテンらしくなってきた。」

スポーツ:「犬のおかげで?」

ミナ:「犬のおかげで。」

スポーツ:「複雑。」

昼休み終了の笛

昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴りました。 みんなは少し汗をかき、少し笑い、少し名残惜しそうに校舎へ戻り始めました。

審判犬は、最後にもう一度ボールの近くへ来ました。 そして、スポーツの前に座りました。

スポーツ:「おつかれさまでした。」

犬は「ワン」と鳴きました。

それが返事なのか、判定なのか、ただの犬の声なのかは誰にもわかりません。 でも、みんなは笑いました。

コーチ先生は、深くうなずきました。

コーチ先生:「いい試合だった。」

スポーツ:「試合だったんですか。」

コーチ先生:「試合とは、人が本気になる場所だ。」

スポーツ:「犬もいました。」

コーチ先生:「名審判だった。」

スポーツ:「だから犬です。」

帰り道の小さな発見

放課後、スポーツとミナは校門を出ました。 今日は走っていません。 ボールも飛んできません。 犬も、今のところいません。

スポーツは、少しだけ安心していました。

スポーツ:「今日は、犬が全部持っていったね。」

ミナ:「ボールも、話題も。」

スポーツ:「助かったような、巻き込まれたような。」

ミナ:「どっちも。」

スポーツは、少し考えました。 ボールが来た時、最初は怖かった。 でも犬が来て、みんなが笑って、いつの間にか自分も声を出していた。 それは、完全に悪い昼休みではありませんでした。

キャプテンという言葉は、まだ重いです。 でも、今日のスポーツは少しだけ、チームの真ん中にいました。 たとえその中心に犬がいたとしても。

スポーツ:「私、少しだけ指示してた?」

ミナ:「してた。」

スポーツ:「キャプテンっぽかった?」

ミナ:「安全係としては、かなり。」

スポーツ:「安全係キャプテン。」

ミナ:「悪くない。」

その時、後ろから声がしました。

グランマ・ビクトリー:「スポーツ!」

スポーツは、ゆっくり振り返りました。 そこには、買い物袋を持った祖母が立っていました。 名前をつけた張本人です。

ミナは、すぐにクリップボードを構えました。

ミナ:「ついに、由来の人が来た。」

スポーツ:「お願いだから、メモしないで。」

グランマ・ビクトリーは、にこにこしながら言いました。

グランマ・ビクトリー:「今日はいい顔してるね。やっぱり、その名前は正しかった。」

スポーツ:「その話、今します?」

グランマ・ビクトリー:「もちろん。名前には、物語があるのよ。」

スポーツは、少しだけ空を見ました。 普通の日は、やっぱりまだ遠そうでした。

Next Episode

次回、グランマ・ビクトリーがすべてを説明する。

なぜ彼女の名前はスポーツなのか。 ついに、名前をつけた祖母が語ります。 五輪の夢、金色の朝、そして家族会議の敗北を。

グランマ・ビクトリーが名前の由来を語る
Episode Notes

第4話の見どころ

ボールを怖がるスポーツと、ボールしか見ていない犬。 その二人が出会った時、校庭の昼休みは、なぜかひとつの試合になりました。

1

ボールへの警戒

スポーツにとって、転がるボールは小さな事件の始まりです。

2

審判犬の誕生

ただボールを盗んだ犬が、なぜか校庭で審判のように扱われ始めます。

3

安全係キャプテン

スポーツは勝利より安全を見ています。その姿が、少しずつチームをまとめていきます。